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井上ひさし|HISASHI INOUE

井上ひさし
井上ひさし プロフィール

1934年(昭和9年)11月16日。山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。
中学三年になった49年、岩手県一関市へ家族が移り住み、同年秋には母や兄と離れて宮城県仙台市にある児童養護施設「光が丘天使園」に弟と入所。この頃、友人に宛てた手紙で、将来作家になる固い決意を述べている。
50年、宮城県立仙台第一高等学校入学。在学中の三年間で千本の映画を鑑賞。映画評を「キネマ旬報」「映画と友」へ投稿し、しばしば掲載された。
53年、上智大学外文学部ドイツ文学科入学。一学期を終えたところで岩手県釜石市に帰省。母の営む屋台の手伝いをしながら図書館でアルバイトを始め、そこで文学全集や黄表紙集などを読み漁る。同年11月、国立釜石療養所の職員となる。
56年、上智大学外国語学部フランス語科に復学。寮費を含めた生活費のため様々なアルバイトに精を出し、11月には浅草フランス座の文芸部員兼進行係に採用される。ストリップショーの幕間に演じられる笑劇(コント)の台本を書くと同時に、たくさんのラジオドラマを書いては懸賞に応募し、賞金を稼いだ。この投稿を通じてNHKの学校放送部から声がかかり、放送作家として教育関連の番組を担当。60年に上智大学を卒業後は、さらに数多くのラジオ・テレビ番組を手掛ける。
64年、児童文学者の山元護久氏と共同執筆したNHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』が五年間にわたって放映され、国民的人気番組となる。
69年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした戯曲『日本人のへそ』で演劇界にデビュー。小説、エッセイの分野にも活動の場を広げ、 72年には、戯曲『道元の冒険』で岸田戯曲賞と芸術選奨新人賞を、江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説『手鎖心中』で直木賞を受賞。
76年の3月から7月、オーストラリア国立大学アジア学部日本語科客員教授としてキャンベラに滞在。 その後も精力的に執筆活動を続け、ベストセラーとなった『吉里吉里人』を始め、発表された小説・戯曲で文学・演劇の各賞を受賞。後には多くの文学賞等の選考委員も務める。
84年に自作の戯曲のみを上演する劇団こまつ座を旗揚げ。『頭痛肩こり樋口一葉』を皮切りに座付作者として次々に新作を書き下ろす。
87年、生まれ故郷へ寄贈した7万冊の蔵書をもとにした図書館が川西町に開館。原稿の遅さから「遅筆堂」と名乗っていたことにちなんで「遅筆堂文庫」と命名。これを機に「生活者の視点で自らの暮らしを見つめなおそう」と、遅筆堂文庫・生活者大学校の開校を提唱し、校長として全国から参加する受講者とともに、農業問題を中心とするさまざまなテーマに取り組んだ。(生活者大学校は現在も川西町にて毎年11月に開校)

日本文藝家協会理事、劇団協議会理事、劇作家協会会長、日本ペンクラブ会長、仙台文学館館長、吉野作造記念館名誉館長、千葉県立市川市文化振興財団理事長などを歴任。
また、九条の会呼びかけ人、世界平和アピール七人委員会に名を連ね、社会問題にも積極的に発言した。 01年には「知的かつ民衆的な現代史を総合する創作活動」で朝日賞を受賞。04年、文化功労者に選ばれる。09年日本放送協会放送文化賞。恩賜賞日本芸術院賞を受賞。10年「長年にわたり演劇界に多大な貢献をしてきた」ことにより読売演劇大賞 芸術栄誉賞を受賞。同年故郷山形県より山形県県民栄誉賞受賞。

2010年4月9日永眠(75歳)。



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